実家の断捨離をしまくっていた頃、唐突に宮沢賢治に興味をもちました。
あ。賢治ファンの方はご遠慮ください(^^;
以前にも書きましたがワタクシ、三浦綾子さんにハマった小学生時代を過ごしておりまして。昔話や童話、人気の児童文学あたりには縁がない。宮沢賢治も教科書にあったな?ぐらい。
彼の作品も読みましたがそれ以上に面白かったのが伝記っぽい評伝。岩手県には一般の方々の書籍も数多くあります。
共感する部分もいろいろとありましたがそれ以上に、なんと魅力あふれるド変人だ!という感動🤣
聖人君子のようにみる人も多いのでしょうが、それはもったいないですね~。
彼を“縄文の人”と表現している方がいて、とても心に残りました。縄文…なんか気になる……
そこからホツマツタヱとかカタカムナにつながりまして。今にして思えば一連の出来事のプロローグだったなぁ。
後に知ったことですが。レムリアの最後、避難した人の一部は縄文時代の日本にたどり着いて命をつないだとか。
宮沢賢治スターシード説、なるものもあるようですが……まちがいないわ👽️ あの頃のスターシードの苦労は、今とは比べものにならないと思います。
『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福などあり得ない』
有名な言葉なのでしょうけれど。いや、それはちょっと違うぞ賢治💦と心の声がつい漏れ出るレベルでした。
君が生きている世界をつくっているのは君自身だぞ。君が幸福だから世界は幸福なのだ!🤩
思考や感情が現実になる。
ということは、世界平和を願っているうちは願い続ける現実がやって来る。
「私は幸福だな~平和だな~~」と皆が感じていれば、世界は幸福で平和になるわけだ。
夢物語ですか?
そうです、現実は脳内幻想なのだから大差ない👍️
さて。明日も投稿するのか私?……ないな(笑)
いつもながら最後までお付きあいくださいまして、ありがとうございましたっ。